2022年4月 4日

丸道工務店代表 道木宏昌の生い立ちと家づくりへの想い


スポーツ少年だった子ども時代


昭和43年3月1日 道木家の三男として誕生。

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二人の兄とは歳が10歳ほど離れていたからか、
とてもかわいがられていたようです。

私の誕生と同じ年に、
父親が建築の会社を設立。

両親はとても忙しく、
ほとんど構ってもらった記憶はなく、
さみしい思いもしましたが、
自由奔放に育ちました。

小学生時代は、
バスケット、野球、卓球、水泳の掛け持ちで、
スポーツ三昧の日々。

中学校はマンモス校。

小さな小学校から、
144㎝と小さな体で入学した私は、
とても萎縮したことを覚えています。

それでも3年生の時には、
バスケットボールのキャプテンを務め、
福井県大会で春夏連覇を成し遂げることができ、
部活に没頭した中学時代を送りました。

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後継ぎの覚悟


そんなスポーツ一色のような暮らしと変わって、
自由に楽しんでいた高校時代。

3年となり進路を決める頃、
適当に県外の大学に行こうと気軽に思っていました。

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しかし当時、
二人の兄はともに家を出ており、
残っていたのは私だけ。

はっきりとは分からなかったですが、


家を継がないといけない


そう感じました。

もし外に出てしまったら、
もう戻ってこないだとうと思った私は、
県内に留まることに。

ただ、なぜだか当時の担任の先生が、


「福井大学しか受けさせない」


と。


おいおい・・・・・・

勉強が嫌だった私ですが、
そこから一世一代の猛勉強。

晴れて合格を勝ち取れたのも、
担任の先生の言葉があってこそで、
今となってはとても感謝しています。

入学後は大学生活をエンジョイするも、
あっという間に就活の時期がやってきました。

世間はバブル真っ只中。

家業を継ごうと思ってはいましたが、
まずはどこかに就職して修行しようと考えていると、
父から思わぬ言葉が。


「大学を出たらすぐにウチに入社しろ」


いいのか悪いのか、
就活は一切なしに。


兄と二人で


そんな感じで家業を継ぐことに決まった私に、
県外で建築会社に勤めていた兄から連絡が。


「一緒にやらないか」


兄が家業を継ぐことはないと思っていたので、
とても驚きました。

私の大学卒業を待ち、
家業を二人で盛り上げるという期待を胸に、
平成2年に兄と二人で入社。

当時の会社は建築と土木の両方を事業としており、
兄が建築、私が土木を担当。

会社を盛り上げるために、
二人でがむしゃらに働きました。

兄は頭も良く、
運動もでき、
愚痴や人の悪口など聞いたこともなく、
とても尊敬できる自慢の兄でした。

ただ商売っ気がないのが・・・・・・

お客様からは少なく頂き、
業者にはたくさん支払う。

だから会社の決算は±0


お~い、会社潰れるやろ~


といつもヒヤヒヤしていました(笑)


頭からはなれない恐怖


仕事にも慣れてきた頃、
夜ぐっすりと寝ていると、
突然激しい揺れに襲われ目を覚ましました。


1995年 阪神淡路大震災


隣で寝ていた妻も目を覚まし、


「地震!地震!」


当時住んでいたのは、
中古で購入した古い家。


「家がつぶれちゃうよ!!!」


私は冷静さをよそおい、


「大丈夫だ!すぐにおさまる!」


そうは言ったものの、
揺れは激しくなるばかり。

どうすればよいのか分からず、
揺れが激しすぎて動くこともできず。
じっと待つしかありませんでした。

すごく長く感じた揺れが一旦おさまり、
家がつぶれなかったことに安堵して、
テレビをつけました。


そこには信じがたい光景が・・・・・・


時が流れ日常が戻ってきても、
その時の恐怖がいつまでも頭を離れません。

後に自分の家を建てることになった時も、
真っ先に考えたことは耐震でした。


命を守ってくれる安心して住める家


それが後にも先にも私の理想の家づくりとなりました。


突然の悲劇・・・・・・


大震災から10年ほどが経ったある日、
かかってきた電話に出ると、


「兄が亡くなった」


そんなはずはない。

さっきまで一緒に打ち合わせをしていた。

いつものように元気だった。

父と間違っていないか?

心臓や大動脈の手術をした父のことだと思い、
病院に駆けつけました。

殺伐とした雰囲気の中で、
医師から心臓マッサージをされていたのは、
間違いなく兄の姿。

テレビドラマの1シーンのような光景は、
現実ではないように感じ、
悲しいという感情が出てこない。

思考が止まり、
足が地に着いていない感じ。

兄の突然の死。


どこに向かうのか


すぐに現実を受け入れることはできませんでしたが、
いつまでも立ち止まっているわけにはいきません。


兄がいなくなったこの会社をどうしていくのか・・・・・・


提供する家のあり方、
目指す会社のあり方を考えました。


地震に強い命を守る家

いつまでも安心して暮らせる耐久性の高い家

体に優しく健康に配慮した自然素材の家


そういった家を、
手の届く適正な価格で提供していきたい。

そして会社は、


家の事なら何でも気軽に声をかけてもらえる、

町の電気屋さんのような工務店にしたい。


たどり着いたのは地域密着。

それならば小さな困りごとも請け負えなくてはと、
リフォーム事業も立ち上げました。

そして仕事だけでなく、
もっと地域に貢献できることはないかと、
地元の青年会議所や商工会、
ロータリークラブに所属することに。

ちょうどその頃に市町村合併があり、
丸岡城のある丸岡町、
坂井平野のある坂井町、
商業地域の春江町、
港のある三国町が合併して坂井市に。

4つの町の壁を取り払い、
新しい町を受け入れよう、
盛り上げていこうと活動に精を出しました。

特に地域の子どもたちには、
新しい町のいいところを身近に感じてもらいたいと、
多くの体験事業を実施しました。

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進むべき方向が明確になったことで、
私が会社の代表となり再出発です。


家づくりへの想い


父は会社を設立する前は、
大工をしていました。

太い腕が印象的でした。

私の住んでいた実家は、
父が19歳の時に棟梁として建てた家。

初めてそのことを聞いた時は、
とても驚きました。

そんな実家も老朽が進み、
建て替えの話が持ち上がった時、


「死ぬまで壊さんとおいてくれ。」


と父が言いました。

結果、建て替えではなく、
すぐ隣に新築することに。

新しい家の話には父も加わり、
そこには父の部屋も計画していました。

新築完成。

いざ引越しという時になって父が、


「やっぱりここでいい。」


出来上がった新しい部屋を見せて説得するも、
動こうとしませんでした。


自分の建てた家への愛着


父の想いを強く感じた私は、
お客様にも父と同じように、
建てる家に愛着を持ってほしいと考えるように。

愛着を持ってもらうためには、
出来上がった家だけでなく、
家づくりの過程が大切です。

どんな家づくりをしたかによって、
愛着は大きく変わります。

私は施主様と一緒になって、
家づくりをしていきたいと思っています。

そのためには、


施主様が自然と家づくりの中心にいること


家づくりのプロとしてアドバイスはしても、
施主様を置き去りにして、


工務店がつくりたい家をつくってはならない


施主様が住みたい家、
思い描く暮らしについて、
親身になってヒアリングする。

何でも話せる信頼関係、
人間関係を築く。

そして設計段階だけでなく、
施主様が希望すれば一緒に作業もする。

珪藻土を塗ってみたり、
外壁の塗装をしてみたり、
元の家の古材を再利用したり、
土間の左官仕事をしたりと、
一緒に家をつくり上げ、

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愛着の持てる家にしたい


そんな想いを胸に、
これからもお客様に寄り添い、
地域に根付いた工務店であり続けます。


株式会社 丸道工務店
代表取締役 道木宏昌

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